2014年1月29日水曜日

桜玉吉とつげ義春を比較すると?(其の参)

ダ・ヴィンチ電子ナビで、「『週刊文春』連載開始でまさかの大ブレイクの予感!伝説のマンガ家・桜玉吉とは何者なのか?」ともてはやされていたので、元祖伝説のマンガ家・つげ義春と比較してみたいと思う。
以降の記述は『桜玉吉のかたち』、『つげ義春とぼく』、Wikipediaを参考にしました。

■中堅漫画家として
◇桜玉吉
1994年、33歳の時に『しあわせのかたち』終了。理由は、玉吉本人から連載終了の要望が出されたため。背景には、連載を複数抱えオーバーワーク気味だったため。連載終了後、数ヶ月の休養を経て『週刊ファミコン通信増刊ファミコミ』で『トル玉の大冒険』、つづいて1995年から『月刊コミックビーム』で『漫玉』シリーズの連載開始。2007年に鬱病が重篤になるまで、連載・休載を繰り返す。ゲームのパロディを中心とした作風は、『しあわせのかたち』後期から絵日記漫画に移行し、現在に至る。
◇つげ義春
1967年、30歳の時に代表作『李さん一家』、『紅い花』を発表する。特に『李さん一家』のオチは『うる星やつら』で模倣されるなど、後の漫画家に大きな影響を与えた。またこの年に初めての一人旅として、東北の温泉めぐりを経験している。更に翌年には最高傑作であろう『ねじ式』を発表する。1970年、33歳にしてつげブームが起こり、生活に安定感が増す。しかし、その蓄えも長くは続かず、1985年、48歳で『無能の人』を発表するまで、持病のノイローゼ、家計の不安定は続いた。
【まとめ】
33歳という歳は、桜玉吉にとって『しあわせのかたち』の連載終了を意味し、つげ義春にとってつげブームの到来という節目になった。とはいえ玉吉は継続して『防衛漫玉日記』、『幽玄漫玉日記』、『御緩漫玉日記』の『漫玉』シリーズを描き続け、別荘まで購入した。対してつげ義春は寡作な性格とも相まって、作品の評価に対する金銭的な対価に恵まれなかった。又、36歳で鬱病を発症した玉吉、38歳でノイローゼが進行したつげには、根拠のない因縁を感じる。また両氏に共通していえるのは、40歳前後で漫画家を辞めようと考えたことだ。結果、漫画を描く以外に身を立てれないと気づかされる。漫画を描くのは嫌だけど、描かないと貧困になり、体調の悪化を招くという因果な身の上になってしまった。



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